![]() 【東北計画5日目】 |
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![]() いよいよ今日は原発の影響範囲に入る。 しかし原発の影響範囲に入れるのか入れないのか 調べきれなかったので、情報収集をしながら南下していくことにする。 夕べは雨が降って気温が下がって寒くて眠れなかった。 出発前に寝袋は準備しておいたんだけど、暑くなることはあっても寝袋が必要になるほど涼しくなることはないか、 と思って留守番させることにした。まさかこんなに涼しくなることになるとは…おかげで寝不足。 おまけに朝から雨がしとしと降っていたので、雨がやまないかしらん、としばらく車内で待っていた。 しかし雨がやむような様子はないし、小雨程度だったので0530時に出発。 まずは道の駅からそのまま海沿いに出る。 ![]() 道の駅を出てすぐにまたこのような景色が出現。 もし季節が冬であればこの景色に何の疑問も持たないだろうけど、 まだ8月でこの状態。他の場所でもそうだけど、雑草に茶色が多いのは塩分(海水)のせいか? なおこの景色の先は松川浦の南端になる。 ![]() ![]() しばらく南下してから海の方へ出てみた。 舗装が剥がされたデコボコ道をガタガタいいながら走って海に出てみたら。ものすごい状態。 堤防の内側にハシケが漂着している。 ![]() ここがへこんでいるので、堤防に激突でもしたのだろう。 ![]() ハシケの流れ着いた場所は地盤沈下のせいだろう、すっかり湿原のような状態になってしまっている。 ![]() 堤防の内側は土が流されてコンクリ道路が崩落している。 ![]() 茶屋ヶ岬の堤防もこの先が完全になくなっている。そのせいで堤防の内側が湾(砂浜)のようになってしまっている。 (この堤防の左側は本来は陸地) ![]() 本来陸地であった場所はまるで最初から砂浜であるかのようだ。 手前は土嚢を積んで道路をかさ上げしてあり、その道路を守るためにブロックが置いてある。 ![]() 防波堤の背後の高台には津波の跡らしきものがあった。 木の根元に枝らしきゴミが引っかかっている。また、土がむき出しの斜面はのり面が崩れたのだろうか? ![]() こちらは樹木が倒れたままになっている。 ![]() 地図を見るとこの高台の手前には住宅があったようだが、雑草に隠れてまったくそんな気配は見られない。 ここからはどこへも行けないので、また道を戻って南下。 しばらく南下していくと、ひたすら緑色の景色になっていった。 ![]() この熊野神社付近から南を見る。 緑色が広がっているが、稲の緑ではなく雑草の緑。地図を見るとこの辺は水田であるようだ。 ![]() 西を見る。もうひたすら雑草の緑が広がっている。 そんな中、バス停とケータイ電話のアンテナが立っているのは妙な光景。 ![]() しばらく南下すると、上の地図の下の方で川(用水路)を渡るところがある。 橋が落ちているので右隣に仮設橋が架けられている。 ![]() ガードレールが目茶目茶になって放置されていた。 ![]() 八沢排水機場。道が砂利敷きになっているので、この道もかなり破壊されたのだろう。 ![]() 北を見る。緑色が広がっているが、この緑色が雑草ではなく稲になるのはどれくらい先になろうのだろう? なおこの方向は先ほど通った道のある方向なので、ケータイ電話のアンテナが見える。 ![]() 水路を渡ると相馬市から南相馬市に入る。 ![]() ちょっと走ってから海岸へ出てみた。 海岸に入るところは道路が一部崩落しているわ、防波堤の一部らしきものは転がっているわ、ひどい状態だ。 ![]() 海岸の手前では消波ブロックを量産していた。 ![]() 海岸に出てみると、道路はかさ上げしてあるし、防波堤はほとんど無いし、海岸は完全に破壊されてしまったようだ。 ![]() 近づいてみると防波堤は少し残っているが、 土台が削り取られたりしているので防波堤の役目を果たすかは疑問。 ![]() 反対側もこんな有様。 波が砕けている部分までは防波堤があるが、 そこからここまで完全に破壊されているので、左側で鉄板を打ち込んで防波堤代わりにしている。 ![]() また道に戻って南下。ところがこんな景色に出くわしてしまった。 これでは先へ進めないので、一旦内陸側へ移動。 ![]() 内陸側に移動したところで海岸を見てみたら、防波堤があちこちで切れていた。 ![]() 拡大してみると、防波堤がある所と無い所がよくわかる。 ![]() 道路の北側はやっぱり雑草の緑色が広がっている。 残っている家は破壊されているが取り壊されていない。 こういう家は所々で見られる。 ![]() 再び海岸に出てみる。 やっぱり防波堤があちこちで破壊されている。 ![]() 海岸にある松がこんなに少ないとは思えない。津波で流されたのだろうか? ![]() 防波堤部分のアップ。 ![]() こんな状態なので海岸沿いは走れない。なのでまたさっきの道に戻って南下。 真野川の河口は瓦礫置き場になっていた。 ![]() ![]() ボートも瓦礫置き場にあった。 ![]() 右側にちょっと見えるのは原町火力発電所。 発電所があるので海岸沿いは走れない。 そして南相馬市にある相馬野馬追の祭場が近づいてきたので、ここで内陸に移動。 ![]() 7月にたまたまNHKをつけていたら、相馬野馬追の番組をやっていた。 パソコン作業をやりながらそれを見ていたら、なんかすごく恰好いい。 祭りは見られないけど、祭場は見に行けるので旅程に加えておいた。 祭場に向かっていたら、道の駅南相馬の看板が見えたので道の駅に行ってみた。 ![]() すると原発による制限の情報があった。 近くには寄れないのは当然としても、ある程度離れたところは通れると思っていたら、 半径20キロ以内は入れない(通過もできない)とな。 おまけに南下しようにもことごとく制限地域にかかっているので、かなり内陸へ迂回しなくてはいけない。 これは想定外だ。 大きな地図で確認したら、東北道にかなり近寄ることになる。時間とガソリンは大丈夫かな? ![]() ![]() 迂回路の案内の大きいサイズはこちら(8/8の時点)。 ルートは、 ・南相馬からは県道12号線を通って西進。 ・かなり内陸に入ってから国道349号線で南下。 ・そして初日に行った三春の近くを通りすぎてから国道49号線を東進していわき市へ。 原発迂回のルートの確認をしたら、いよいよ相馬野馬追の祭場へ。 何か競馬場のように見える。 ![]() しかし本陣山があるので、祭場であるのがわかる。 ![]() あの騎馬が駆け上がるうねうね道も確認できる。 ![]() ![]() ![]() ![]() この祭場のすごい所は木で柵を作っていること、そしてこの祭事のためにこのような祭場を維持していること。 ![]() ![]() 実際に祭事を見てみたいものだけど、そう簡単には来られないよな。 祭場を見た後はいよいよ原発迂回ルートへ。 まだ南には行けるのだけれど、これ以上南に行っても結局ここに戻ってこないといけないので、 これ以上南下はせずに先に進むことにする。 祭場から北へ向かって南相馬市の市役所の前から県道12号線に入る。 ![]() 0804:南相馬市役所の前の交差点を通過。 0851:国道349号線に入る。 0905〜0917:道の駅ふくしま東和。 0930:国道268を通過(三春ICまでわずか3Km程度)。 1015:国道49号線に入る。 1045〜1108:コンビニで休憩。 1115:国道6号線通過、いわき市中心部。 1119:国道6号バイパスに入り北上、夏井川の河口へ向かう。 ※★が福島第一原発 ![]() 夏井川の河口の北側で海岸に出てみた。 なんかこの光景は違和感があるな。 砂浜への降りる階段に見えるのに降りた先には消波ブロック。津波で砂浜が流されたのだろうか? ![]() ![]() ![]() 南下して新舞子海水浴場、かんぽの宿付近。 海岸には近づけそうもなかったが、この倒れた木、柵の置かれた防波堤。津波被害が想像出来る。 ![]() かんぽの宿の前。道路が一部落ちていた。 ![]() ![]() ちょっと南へ下ったら海に出られたので出てみた。 津波で直接壊されたというよりは、津波で土台を流されたところに後続の津波で壊れた感じだ。 ![]() 砂浜には漁船の船首部分とおぼしき残骸が。また歩道の先の部分は手すりが砂に埋まっている。 これも津波の影響か? ![]() しかし瓦礫は津波ばかりではない。明らかに不法投棄のものが大量にあった。 ![]() 弁天川の河口付近、宮城で散々見た光景が。 しかし奥行きはないので、津波はそんなには(宮城ほど)大きくはないのだろう。 とはいえこの通り付近に何もないのだから、それなりの被害が出ているわけだ。 ![]() 同じところから海を見る。飛行機雲が見えるだけの静かなものだ。 ![]() 富神崎の漁港。 中央左に船のように見えるのは壊れた防波堤。 ![]() なんかあっさりし過ぎている。津波の影響か? ![]() ![]() 漁港のそばにあった崖。津波の跡は見当たらず。 ![]() ところがその横の方を見ると津波で流された跡が。 奥まで行っていないのは幸いだが、流された方にとっては幸いも何もないな。 ![]() 崖の裏側に出てみたら、こんな光景が。 ![]() 上の写真を撮ったのはこの安波大杉神社。 わずかな高さだけど被害を受けた様子が無い。 津波の高さはあまり無かったのだろうけど、高さは無くても壊すエネルギーは充分あるということだ。 ![]() 崖では何か工事していた。 撮った写真を見たら崖が一部崩れているので、それの復旧工事だろう。 ![]() 向こうの方にある山も一部崩れているようだった。 ![]() ![]() 岩山みたいなものがあるのだけれど、穴が幾つもあいていた。 自然の穴なのか、海岸なので本土決戦のために開けた穴なのか? ![]() ![]() ![]() この岩山の上から。 ![]() ![]() 海岸はごく普通の砂浜が広がっている(家族が遊んでいた)。 ![]() ここの岩にも穴が。 ![]() 豊間中学校も被災しているが、2階の窓は壊れていないようなので津波はそんなに高くなかったのが知れる。 校庭は瓦礫置き場となっていた。 ![]() ![]() 更に南に下っていくと、塩谷崎がある。灯台があるというので行ってみた。 灯台があったらいつも登っているから…そうさ、俺は高いところが大好きさ ![]() しかし・・・ ![]() 仕方ないので灯台の下にある砂浜に降りてみた。 灯台は見えるけど登れないのは残念だ。 ![]() 小さいながらも砂浜がある。 ![]() 港のような場所は、砂利で道路が作られていた。 地震か津波で道路が壊れたのだろうか? ![]() 塩谷崎を抜けてくるとまたこんな景色。 防波堤は壊されているし、住宅も壊されている。 右端は豊間漁港。 ![]() 民宿跡。 ![]() 更に南下。しかしこの辺はイマイチ記憶がない。 おそらくあえて写真を撮るような光景じゃない… 今までと同じであるか、特に被害が無い、どちらなんだろう(おそらく前者だろうが)。 江名港。 漁労施設か何かが流されたらしく、土台だけあった。 対岸も建物が見当たらないのできっと被害を受けたのだろう(銅像はちゃんと立っているようだが)。 ![]() ![]() 中之作漁港。 造船所があったが、稼働しているのかどうかよく分からない状態だった。 ![]() ![]() ![]() 造船所の向こう側ではタンクの取り壊しをやっていた。 ![]() 漁協の工場も被害を受けていた。 ![]() 隣にある「八大龍王尊」の碑。 まわりの状況からここも被害が出ているようだ。(復旧してあるが) ![]() 小名浜の手前にある三崎公園、タワーが見えたので寄ってみた。 望楼作戦としゃれ込もうかと思ったら、料金が分からない。 レストランで昼飯を食おうかと思ったら店の前にメニューが無い。 諸々の理由で特になにもしないで公園を離れた。 ![]() ![]() 小名浜港に着いたら食堂があったので飛び込んだ(みなと食堂)。時間は1330時。 なお隣でトンテンやっている音が聞こえていたけど、津波被害をうけて修復をやっているのだろうか? ![]() 注文したのは刺身定食。 しかしなぜかフライが付いている。 なんで刺身定食にフライを付けるのかは謎だ。 こんなの付けるくらいなら刺身を増やして欲しいものだ。 ![]() 小名浜漁港。 ![]() このような漁船が沢山いたが、調べたらマグロ一本釣り漁船だそうだ。 ![]() 対岸には造船所がある(さっきこの造船所の裏を通った)。 ![]() しかしこの小名浜でも被害が出ている。 船着き場の一部が崩れていた。 ![]() 防波堤の方でも何やら工事をやっている。 ![]() 消波ブロックの生産所もあった。 ![]() 昼飯を食った後にちょっと先へ進んだら、ここにも津波被害の跡が。 ここには漁労施設があったと思われる。 ![]() 横にあった建物は1階の窓にベニヤが打ちつけてあった。津波で1階がやられたということだ。 ![]() 隣に観光施設(いわき・ら・ら・ミュウ)があったので行ってみた。 すると施設の隣では復旧工事をやっていた。 ![]() ![]() 海上保安庁の巡視船「なつい」がいた。 ![]() この大きさは20ミリ機関砲だ。 ![]() 観光施設の隣では観光遊覧船「ふぇにっくす」がいた。 ![]() 双胴船だ。 ![]() 無賃乗船している。 ![]() ここで土産物などを調達して、1422時に出発。 沿岸を走っていったら工場にぶつかったので、国道6号線に出る。 ![]() しばらく6号線を走って鮫川を越えてから海に出てみる。 あんまり被害跡らしきものは見られない。 ![]() 勿来火力発電所。写真で見る限り手前の建物には津波被害らしき跡は見られない(直接見には行っていない)。 ![]() このあとは海岸近くを走っていたが、特に被害が見られない箇所が多くなってきた。 ここまで来ると、被害が出てるのは本当に海に面した部分だけのようだ。 そしてそろそろ次の目的地に近づいてきたので内陸の方へ入る。 次の目的地は勿来の関跡。 普通は勿来の関というとココを思い浮かべる。 ![]() 宮城の勿来の関跡とは随分違うな。 ![]() 「奥州勿来関跡」入り口。 ![]() 勿来関跡の碑。 ![]() ![]() 奥の方にも行けるけど、自分の目的はこの関跡だけなので、奥へは行かなかった。 ![]() 勿来の関跡を出て、国道6号線に向かって降りていくと駐車場が現われた。 そして国道6号線に出る交差点で海水浴客が海岸からその駐車場に向かうのに遭遇。 そうか、ここは海水浴場なのか。 ところが後日ニュースを見ていたら、福島県で唯一オープンしていた勿来海水浴場の利用客は平年のわずか4%に過ぎない 事が出ていた。そうだったのか、あの海水浴場は福島県唯一で、しかもあの客はわずか4%に含まれる客なのか (平日だったからなおさら遭遇したのは珍しいわけだ)。 その後、すぐ南にある勿来漁港へ行ってみた。 港そのものに津波被害などは見られなかった(見つけられなかった)けど、 壊れた漁船が放置されていた。 ![]() ![]() ![]() 隣の港の施設がチラリと見える鵜ノ子岬。 ![]() ここまで見てきて、被災地を見てくるのはそろそろ終わりかな、と思った。 北茨城までは見てこようと思っていたので、とりあえずまだ海岸を走る積もりだけど、 そろそろ次の行動を考えた。 北茨城ICから常磐道に入って途中のSAで車中泊するという予定だったけど、 まだ時間が早いので計画を変更。 水戸の北西にある道の駅かつらで車中泊することにした。 ちょっと遠いけど時間ならあるからいいや。 勿来漁港を1530時に出発し、国道6号線に戻って南下。 国道6号線は一部海岸を走るんだけど、ここでもやっぱり被害は見つけられない。 北茨城ICから常磐道に入って一気に南下。那珂ICで降りて北西に進む。 そして1703時に道の駅かつらに到着。 この道の駅は目の前の道が結構交通量があってうるさくはあるんだけど、 すぐとなりにコンビニがあるので便利だ。 (裏手には那珂川が流れている。軽巡の名前だ) 道の駅にあった車にはこのようなステッカーが貼ってあった。 ![]() 被災地を見る旅はこの日でお仕舞。 6日目は自分の趣味の旅になる。 |
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